カムチャッカ半島の先住民であるイテリメンや千島列島に移住させられたアルーティット民族やアイヌの間にどのような交流があり、それぞれの生活様式に、いかなる特徴や相違がみられるかについて、カムチャッカ州教育大学のユリア・ノヴィック博士と活発な意見交換を行なった。また、本年度はアラスカ州コディアック島における先住民のサケ漁に関する人類学調査を行ない、アイヌの事例との比較研究を実施した。これによりサケ漁が集落や経済の安定性に重要な役割を果たしている事実が明確になった。 ロシア人の千島列島への進出は18世紀に始まり、それ以降アイヌ文化の精神(葬制・儀礼)・物質(生業・住居)両面に多大な影響を与え、また、コディアック島のエスキモーの強制移住によっても、先住者であるアイヌとの文化接触による変化が想定できるが、文献史料からだけではきわめて間接的なことしか理解できなかった。そこで、IKIP(国際千島列島人類学調査プロジェクト)の千島列島中・北部のアイヌ文化期集落遺跡の考古学調査によって入手したデータ(米国ワシントン大学に保管)を取り寄せ、集落構造や出土資料の分析により、文化変容のプロセスを検討した。 道東や千島列島先住民への和人による改宗活動(和風・改俗化)の浸透については民族誌や人類学者や旅行者の調査報告、および厚岸町郷土館収蔵国泰寺関係資料の利用によってある程度解明することができた。「同化政策」が実質的に行なわれ、教旨・信条が浸透するオムシャなどアイヌとの直接的な交流の場面は、面会の挨拶・物品の贈与・酒宴という三要素に区分でき、それぞれの過程で漆器の占める位置を考察した。この成果の一部については文献・移動展示によって発表を行なった。
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