研究概要 |
日本における海面干拓の地域的歴史的展開過程について、戦後の複式干拓が企図、または実施された有明海・八代海・瀬戸内海・八郎潟について、単式干拓から複式干拓の企図、及び実施にいたる海面干拓データベースを構築した(OS : WinXP、MS-Excel)。有明海北岸低地の佐賀県・福岡県、東岸の熊本県(八代海を含む)、西岸の長崎県(諫早湾)の三地域における海面干拓の展開過程を、干拓地名称・干拓面積・開発年・開発資本、及び関連文書・絵図資料リストをデータベース化した。有明海沿岸における海面の干拓は、国営諫早湾干拓事業を除いて、すべて単式干拓によるもので、そのほとんどは中世末期の自然陸化地の開墾に起源を持つが、干拓が本格化するのは近世の新田開発、近代の士族授産開発、耕地整理組合による干拓、戦後の緊急干拓、食糧増産体制下における干拓に大きく区分される。ついで、1/50,000地形図を基図とする環有明海・海面干拓進展図を作成した。これらのテキストデータと空間データは、国土地理院の数値地図をベースとして、「環有明海・海面干拓GIS」として再構築する作業を進めている。これらの海面干拓地における乾田化以前の低湿地農耕技術と干潟域を含む浅海での漁撈活動の実態を、有明海北岸の白石平野、西岸の諫早湾、及び児島湾について現地調査を行ない、考察した。その結果、干拓地での農耕と、伝統的な干潟漁撈、漁業技術や動力漁船の発達による浅海での網漁の進展や海苔養殖業の発達による半農半漁の複合的生業システムの持続可能性が見出された。しかしながら、戦後の干拓は、緊急干拓事業と食糧増産体制下での大規模「単式」干拓として進展したが、複式干拓は八郎潟や児島湾で実施され、「有明海大干拓構想」に代表される湾入部の締め切り方式による有明海の複式干拓は、諫早湾干拓事業にのみ引き継がれた。地先の大規模単式干拓は、山門第一干拓、同第二干拓、佐賀干拓、杵藤干拓が計画されたが、すべて初期の計画は頓挫するにいたっている。この背景には、水田稲作と同等か、あるいはそれ以上の中心的生業としての意味を有する海苔養殖の発達による干潟・浅海域の独占的利用が関わっている。海苔養殖業の大規模化は、単式干拓を「小休止」させる一方で、陸域-干潟域-浅海域の循環系や連続性を阻害し、海域への「新たな環境負荷の要因となりつつあることが明らかとなった。複式干拓が実施された八郎潟・児島湾・諫早湾においては、干拓計画が企図された時期から現在にたるまでの農業構造の変化や調整池の水質悪化、及び干潟の喪失による干潟の浄化能力の低下、及び生物多様性の脆弱化、さらには干拓地と干潟・浅海域での複合的生業の断絶を伴うことが明らかとなり、開発の持続可能性の点で大きな問題を有していることを論じた。
|