本年度では、バンクーバー島東岸のナナイモにおける日本人によるニシン漁業について、実証的な研究を行なった。 研究方法については、『加奈陀同胞発展史一・二・三』に記されたにニシン漁業史を整理し、『在加奈陀邦人人名録』『加奈陀在留邦人名簿』などの資料から、ナナイモにおける日本人の出身地を把握した。邦文資料からだけでは判明しない職業と居住地については、"BC Directory"や"Fire Insurance Map"、漁船については"List of Vessels on the Registry Books of the Dominion of Canada"、塩ニシンの輸出に関しては"Fishery Statistics of Canada"などの英文資料を利用した。さらに、ニシン漁業関係者からの聞き取り調査や、ナナイモとその沖合にあるニューキャッスル島での現地踏査を実施した。 戦前のBC州における日本人によるニシン漁業は、1902年頃に始められた。12月から翌年の2月の漁期になると、バンクーバーやスティーブストンからナナイモへ季節的な移動が行なわれた。ナナイモ市街地の北部に塩ニシン製造所が設けられ、その周辺に関係者の簡易住居が建てられた。1916年頃、炭鉱の統廃合と関わって、製造所はニューキャッスル島北西部に移動した。 塩ニシン製造業者のひとりである大阪府貝塚町(当時)出身の嘉祥治三郎(1877年生)は、渡加以前には泉州・紀州を活動域とする鮮魚運搬業を営んでいた。義弟の和歌山県三尾出身者を介して渡加した彼も、三尾出身者を多く雇用していた。さらに日本人だけでなく、廃坑によって失職したイタリア系も雇用されていた。 太平洋戦争の勃発によって、日本人はBC州からの強制移動が科せられ、ニシン漁業と日本・朝鮮・中国などへの塩ニシンの輸出も終焉を迎えた。しかし現在でも、ニューキャッスル島には当時を偲ばせる遺構が残っている。
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