本年度はまず昨年に撮影した膨大な出土文書を整理し、解読作業にとりかかった。出土文書を手写本と木版本という二種類に分けた上、更に内容上の分類と分析を試みた。つついて8月にはふたたび現地の内モンゴル自治区オルドス市に赴いて、石窟の構造および関連する壁画資料などについて追加調査を実施した。 出土文書を総合的に研究するためには、アルジャイ石窟の性質、いままでに同石窟周辺から如何なる文字資料が現れているかなどを広い視点から検討しなければならない。この二年間、現地でチベット仏教の僧侶にインタビューし、文字資料等を収集し研究した結果、アルジャイ石窟の全容について、概ね以下のように把握することができた。 アルジャイ石窟は北魏時代から造営が始まり、西夏時代を経てモンゴルの元朝時代に全盛期を迎えた。元朝時代以降は、とくにチベット仏教のカルマ・カギュ派系統の活仏が同石窟を拠点としてきた。その後、チベット本土においてゲルク派とカルマ・カギュが抗争し、カギュ派が敗れた結果を受けて、アルジャイ石窟は衰退していった。 アルジャイ石窟より出土した古文書(手写本・木版本)には、13世紀頃に書かれたものの特徴を帯びるものもあれば、17世紀以降のものもある。このように、出土文書の時代的な幅が長いのも、アルジャイ石窟は長いこと繁栄していたことを物語っている。本研究の深化にともない、元朝以降に仏教が北アジアの草原地帯でどのように信仰されていたかを知る上で、第一次的な資料が学界に提供されたことになろう。
|