関西の地蔵盆の起源と関係する、四国遍路での子どもの役割について調査した。 きっかけ…○関西の町自治組織、路地、町丁目ごとの地蔵を調査してみると、「延命」以外には、「子育て地蔵」「子安地蔵」など、子育てに関わるものが多かった。また、七度参りなど、子どもの発育安全を願うものが多かった。町の安全、町の結びつきは、子どもを通じた子育てコミュニティとして機能していることがわかる。 ○神戸市西部(長田区・兵庫区)では、立江地蔵と名乗るものが多い。神戸だけではなく、河内にもある。立江寺は19番札所の立江地蔵からきている。立江寺と称するものも2箇所ある。 ○子どもたちへの供物お下がりを配ることを「お接待」と称することなど、四国遍路を思わす用語が、神戸の地蔵習俗には多い。これは大阪・京都にはない。 ○神戸の地蔵は須磨寺に納められる。理由は、お大師さん(弘法大師)信仰によるという。 そこで四国遍路を調べた 〇四国と神戸・大阪の結びつき。とくに、徳島県へ接待講として接待に出かける人々の存在がある。 〇四国19番札所立江地蔵は、関所寺といわれ、女性の子育て義務について、浜田のお京伝説がある。 駆け落ちした女性が遍路にまぎれたが、その髪が鉦の緒にからみつき、頭骨肉がはげてとれたという話しは、子産み育てのない恋愛を仏教的に戒めたものであるが、子育て祈願へと変化して庶民には信仰されている。 さらには、お遍路に出ている子どもの存在を調査した ○おかげ参りとしての子ども遍路 ○祖父祖母の代理参りとしての子ども遍路(子どもが参っている間、鈴を鳴らし続ける祖父母) ○子ども遍路の教育的機能(礼、感謝、世代間の信頼) ○子どもと信仰行動とその記憶(例…昔、おばあちゃんはこのお寺のことを言っていたのか…) 結論……四国の子育てと巡り、信仰がベースとなって、近代阪神下町形成が展開した。
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