植民地化を経験した地域の多くは、植民地化される前は都市部と呼べるようなところがなかった。特に人口規模の小さな島々が点在するオセアニア地域では、植民地化以前は、都市部の存在は皆無であった。しかし、植民地化が行われ、植民地行政の中心地となったところは、次第に人口を増加させ、都市部が形成されるようになった。いわゆる、コロニアル・タウンと呼ばれる都市部が成立するのである。ところが、オセアニアの中に、コロニアル・タウンとは異なる形で都市部を形成することになったところがあった。それが、本研究の舞台となっている現ヴァヌアツ共和国のルガンヴィル市である。ルガンヴィルは、太平洋戦争時、南下してくる日本軍を迎え撃つためアメリカ軍が建設したキャンプ・タウンとして成立したのである。 本研究では、まず、キャンプ・タウンとしての成立過程を、植民地行政府の資料やアメリカ海軍の記録、人々とのインタビューなどから明らかにし、太平洋戦争後、そうした人工的に作られた都市がいかにしてメラネシアン・タウンへと移行していったのかという歴史人類学的に論じることで、メラネシア人都市の成立過程を明らかにした。次に、こうして成立したメラネシアン・タウンが、いかにして都市文化を創造していくのかという点を都市人類学の議論を踏まえて論じた。そこから明らかになったことは、都市部では様々な地域での文化が混交して新たな文化が創造されるという従来の前提が否定され、メラネシアン・タウンでは、混交した都市文化がなんとなく出来上がるが、それは「否定されるべきもの」として設定されており、村落部を中核とした伝統文化に対して都市の文化は「ピジン文化」とでも呼べる不安定な位置にあることを明らかにした。
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