1、地方都市におけるスーパーマーケット進出と商店街の対抗策・衰退 昭和30年代初頭より、地元商店街が「黒船」と呼んだ東京や大阪に本部をおくスーパーマーケットが四国の諸都市に進出し、戦前から存在した商店街の顧客の多くを奪った。とくに、高知県中村市での調査から、商店街が地域独自のスーパーマーケットを設立して対抗したが、結局、商店街との競合を避けるため小規模で、しかも郊外に設立することしかできなかったため、地元スーパーも商店街も共倒れになっていくというプロセスが明らかとなった。これは、全国の中小都市に共通する現象であると思われる。 2、スーパーマーケット進出と民俗文化の変容・戦後子供消費文化の成立 東京・大阪資本のスーパーマーケットでの商品は「都会」、地元の店の商品は「田舎」という区別が定着することにより、東京から取り寄せた商品を販売している店自体も「田舎」と認識され、営業することが困難となっていった。このため、スーパーを発信基地とする「都会」が四国の中小都市にも蔓延することとなった。 最も好まれた「都会」は、子どもが好む有名な会社の菓子類であった。そのため、子供の誕生日祝いや子供の節句などの人生儀礼、年中行事を結接点として、当時の子供から「都会」が侵入する様子が見てとれる。そしてこれに引きずられるように、母親もまた商品購入を通して「都会」化して行くことになった。その逆に、結婚式や葬式などの人生儀礼、その他の年中行事は「父親」が指揮して行なわれていたため、伝統性を強く保持した形で行なわれていた。 こうしたことから、戦後の消費社会化は、子ども〜母親〜父親の順で浸透し、伝統的な民俗文化が変容していったことが明らかとなった。このことは、現在の消費文化を考える際にも大いに参考になることであると思われる。
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