研究課題
基盤研究(C)
本研究は、平成15年から18年まで、秋田県仁賀保市象潟町小瀧地区を研究対象として、鳥海山小瀧修験の全貌の解明を目的として行った。小滝地区は旧修験家を中心に、宗教集落として形成されてきた。近世期には小瀧地区内に龍山寺以下の修験家を中心として、烏海山登拝者のための宗教集落として発展してきた。近世期以降は当山派醍醐三宝院末に属し、鳥海山南麓にある蕨岡で入峰修行をし、位階を受けていた。それ故、小瀧修験の修行や祭祀の形態は蕨岡の影響が多く見られる。当地は明治の神仏分離令以降、龍山寺を廃し金峰神社となり、旧修験家の人々は復飾し、神職の資格を得た。当時いち早く復飾した鳥海山南麓の吹浦修験は、大物忌神社の神職として権益を独占していた。その上、鳥海山頂を大物忌神社本社とする決定を得ていた。小瀧龍山寺の後継者だった阿部貞三は、大物忌神社の配下に位置することを望まず、鳥海山二合目に霊峰神社を新たに建立し、霊峰講を組織し、多くの参詣者を集めていた。このように秋田県仁賀保市小滝地区に残る鳥海山小瀧修験の宗教活動と組織、明治の神仏分離令以降の動向、現在行われている行事と修験との関係、その地域社会での位置付けと周辺地域への文化的影響力の解明を目指してきた。鳥海山小瀧修験は、近世期の姿を色濃く残しながら、現在行われている祭礼や年中行事は、修験家の人々だけでは維持しきれず、地域住民をも巻き込みながら、今に続いている。
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国立歴史民俗博物館研究報告 135
Joint research of the National Museum of Japanese History (research representative : Koichi Matsuo). From The bodies and society of religious people
(edited). Yuza-machi Board of Education 31
ページ: 979
(Co-author.) Shinjuku Shobo
ページ: 222-253