本研究は、西日本を中心に、漁民の移動性を日本の近世以降の水産業史との関連で考察したものである。近代以降の海村と海洋資源との係わり方の相違は、沿岸海域の生態学的な相違による漁法、漁業組織、そしてそれらによって生じる社会構造の相違となって顕在化してくるものではあるが、近世では藩の水産業政策も各海村の社会構造に影響を与えてきた。さらに西日本各地で商品作物の栽培が盛んになるとともに鮮魚だけではなく、干鰯の大量輸送の必要から、多くの魚運搬業者が出現した。これらの運搬業者は、漁民に支度金を与えて大いに漁場開拓を行い、また海産物の販売路の確保も行った。このような状況において、海村の住民の間で、地先海域での漁業、遠方への出漁、そして魚運搬業など様々な海との係わり方が生じた。従来積極的に海との係わりをもたなかった海村に他地域から漁民がやってくることで、漁業が盛んになった海村もある。さらに定置網の網子としての出稼ぎ者の多い村、延縄や一本釣りなどの遠洋への出漁者の多い村など、海との係わり方の違いも大きい。後者の場合、特に明治以降、朝鮮海域への出漁とフィリピンさらにボルネオなど南方への出漁など、出漁先が大きく異なるようになる。これは、国家の支援を受けた大規模水産会社の経営に組み込まれた海村と、比較的個人経営に近い中小の水産会社や組合などの共同経営に傘下に組み込まれた海村との相違にも関連する。 代表者は、すでに鹿児島県の甑島、沖縄県の八重山において、水産業と島嶼海村の実態調査を実施している。今後、これらの島嶼海村を広く西日本海域社会の歴史の中に位置づけるとともに、近年の過疎と高齢化からの脱却をめざす新たな動きを盛り込みながら、海洋人類学の観点から民俗誌の作成に向けた出版準備を行う。
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