本研究は、アンシャン・レジーム期フランスの王令登録という手続がどのようなものであり、同手続が王令にとってどのような意味を持ったかを明らかにし、さらにこれを通して当時の王権と裁判権との関係がいかなるものであったかを問うことを目的とする研究の一環をなし、下級裁判所による登録を対象として考察を進めるものである。本研究では、史料に現れる登録はパルルマンによるもののみでないこと、下級裁判所においても王令登録の判断がなされていることに注目し、その実態と意味を探求することを通して、王令登録に異なる角度から光を当てた。研究では、1)下級裁判所による王令登録の事例を収集すること、2)収集された事例の分析、3)下級裁判所による王令登録も含めた場合の王令登録の全体像を描くことについて、それぞれ成果を上げることができた。 1)事例収集については、裁判所制度史文献の中から事案を収集し、あわせて、同時代の貴重な史料としての民法典審議過程の記録の重要性を明らかにした。 2)事例分析では登録手続に裁判構造を取る事に注目し、下級裁判所が具体的な裁判を通してパルルマンとは異なる判断を取りうること、及び裁判所設立王例登録に関し、裁判管轄争いと登録問題とが重なり合う構造を明らかにした。 3)王令登録の全体像としては、複数のパルルマンの登録も下級裁判所の登録も、系統的には行われない結果、一つのパルルマンによる登録は内にも外にも限界を有し、その結果として王令の効力は空間的にも時間的にもともに不安定で流動的であることが導かれる。このような変動は、裁判を通してこそ行われる点がアンシャンレジーム期の国制の特徴だといいうる。
|