今年度は、戦前期小作調停法のもった規範形成力を検証するため、群馬県、京都府、愛知県、富山県に計6回調査を行った。 本年度解明できた事は、これまであまり注目されていなかった、群馬県山田郡毛里田村(現太田市内)で、かなり特徴的な小作調停がなされていた事である。 この村は、戦前「無産村」として有名になった群馬県新田郡強戸村の隣村である。強戸村の研究は、従来からもかなりあるが、毛里田村の研究はないといっていい。 ここで特徴的なのは、この村では、1920年代に入って、小作運動が活発となり、単なる一時的な小作料減額免除にとどまらず、基準となる約定小作料額を村で一斉に減額させようとした事である。 確かに、日本農民組合などは、初期の方針として「永久減」を掲げ、全国的にも、これを目標にして地主に対し、一時減でなく、約定小作料額そのものの減額を要求するという傾向は見られる。しかし、毛里田村のように、村農会を通じて、村内のすべての小作地を格付けし、「査定小作料」を定めて減額を迫るという例は他に見あたらない。 小作調停の生んだ到達点が小作料減額免除手続条項である事は、咋年の成果報告で述べたとおりだが、毛里田村の場合、小作人主導の全村査定小作料設定がまず行われ、これを拒否した地主に対して小作争議が起こり、これを収拾する小作調停で手続条項が登場して来るという構図はかなり珍しい。これがいかなる意味をもっているのかは、次年度以降の研究で解明したい。
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