本年度は、昨年の調査を受けて、調査対象を群馬県山田郡毛里田村に絞り、資料撮影と聞き取り調査を行った。 山田郡毛里田村は、昭和30年代に太田市に合併され、現在は、太田市内の一地域になっている。太田市教育委員会が、旧役場資料を保存しているということで、同教育委員会に資料閲覧・撮影の許可を取り、2度にわたって保存資料の閲覧・撮影を行った。 毛里田村役場資料は、明治22年の町村制による毛里田村の成立以前-只上村連合、丸山村連合等の議事録がわりと残っていたが、毛里田村成立以後については、村会議事録や土地台帳など基本資料は残っていなかった。 しかし、大正9年から始まる毛里田村争議に関係する資料はかなり残っており、特に、最大の争点となる「小作料査定」についての関連資料がほぼ完全な形で残っていた。 さらに、後の農地法につながっていく、自作農創設維持関係の資料が豊富に残っていて、「自作農審議会」「自作農資金貸付」等の簿冊が確認できた。また、簿冊の残り方から、「自作農審議会」が村の「農地委員会」へと転形していくことが確認でき、ここに、毛里田村における地主・小作間の協調体制がいかにして成立していくかを確認することができる。 群馬県調査は、もう1回、群馬県立図書館の所蔵資料についても行った。これは、毛里田村争議が、小作調停にかかって、調停委員に信をおく形で終了しており、これら調停委員の人物像を明らかにする必要があったからである。この調査によって、調停委員の一人、清水及衛について明らかとなった。産業組合活動に功績のあった人物であり、協調体制と産業組合という連関が想定でき、貴重な発見になると思われる。
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