研究概要 |
研究初年度である平成15年度(2003年度)は、現地調査に重きをおいてきた。現地調査の目的のひとつは、現在のラトヴィヤの欧州連合への加盟に向けての状況であり、今ひとつは、歴史的叙述の編纂と資料の状況確認であった。 第1の目的のために、2003年9月の国民投票にあわせて現地資料調査をあてた。ラトヴィヤは、2003年9月20日にEU加盟に関する国民投票を実施,投票率72.57%で賛成票67.49%を獲得し、2004年5月からのEU正式加盟に向けて動き出した。研究代表者は、この投票の前後にラトヴィヤでの研究調査を実施し、この国民投票に向けてのキャンペーンの様子や国民投票、その後の動向を見聞してきた。キャンペーン最後の週には大統領、首相を動員しての大々的メディアを利用した宣伝が行われ、1991年にソ連から独立を回復してからの最優先外交政策の一つEU加盟に向けての最後の仕上げ作業となったように見えた。だが、なぜ、これほどまでに熱狂的になる、あるいはならなければならないのかと考えたとき、ラトヴィヤの国家成立過程を思い起こさざるを得ない。 第2の目的の資料状況確認で、以下のことが明らかとなった。このEU加盟に向けて取られてきた外交政策の中で、ラトヴィヤにおけるホロコーストの学問的検証と並んで、国家事業として進められているのが、ラトヴィヤ大学の歴史研究所(旧歴史アカデミー)によるラトヴィヤの19世紀以後の歴史の叙述の編纂作業である。国民国家としてラトヴィヤが成立する過程を叙述する作業が進んでおり、それと共に、外交文書の整理、編纂が進められており、2003年9月に現地の国立歴史文書館でのラトヴィヤ共和国成立期の資料調査作業も順調に進められた。 バルト3国の中で真ん中に位置し、エストニアやリトアニアが北欧や中欧を志向する傾向がある中、もっともバルト3国を含む地域協力に積極的であることは、政府、役所関係者へのインタビューによって確認できたのみならず、研究者の視点も同様であることが、周辺国ポーランド、エストニア、リトアニアなどでの調査を踏まえて一層浮き彫りにされた。この理由も、研究代表者がラトヴィヤ共和国の成立とその地域協力の試みの考察の中に求めることができる。冷戦終結から10年以上を経て、まだまだ不十分とはいえ現地で資料の自由な閲覧が可能になったことは、ラトヴィヤを国民国家の役割や限界の一つの例として扱うに十分であろう。 研究年度2年目の平成16年度(2004年度)は、現地の研究動向を踏まえて、現在のラトヴィヤの地域協力にも目を向けつつ、1918年に成立したラトヴィヤ共和国の成立と地域協力がどのような意味をもつかを論文にまとめる予定である。
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