本研究は、1990年代以降、アジアの諸社会において非営利セクター、あるいは市民社会といわれる非営利で公共を担う民間組織が急速に台頭しているという、広く流布した言説を批判的に検討することを目的としている。以下に成果報告書の内容を概略説明したい。 雨森は、日本における1990年代のNPOブームと非営利活動促進法の成立の時期に焦点をあてて、NPOというアメリカ起源の言説を、どのように日本の市民活動団体が「戦略的」に利用し、自らの活動の社会的認知の促進、法的・行政的サポートの制度作りを獲得してきたかを分析している。そこでは、欧米言説の借用ではなく、戦略的適用という日本の市民活動団体の創造性や主体性が強調されている。 牧田は、カンボジアの1990年代以降の爆発的なlocal NGOの増加を、内発的な市民社会の発展ではなく、国際的な援助機関の復興アジェンダに則った、いわば請負者としてのNGOの増加であると分析している。それぞれのドナーが、異なったカンボジアの復興の未来像、また政治的将来への期待を持ちつつ、その一時的な担い手として「作った」NGOが大半であり、カンボジア社会の内部から生み出されてきた部分は重要ではあるが、ごく一部であると分析している。 鈴木は、フィリピンのNGOセクターの中で、「市民社会」という言説が持つ意味を、政府・ドナーによって市民社会と認められる部分と排除される部分に分けるという機能であると分析している。排除されるのは、場合によっては武力に訴えることも辞さないような戦闘的な部分であり、市民社会という言説が抵抗的民間団体の排除の踏絵となっており、実質的に政府や外国ドナーによるフィリピンNGOの分断化につながっていると分析している。 長畑誠(研究協力者)は、インドネシアのlocal NGOの現状の分析に加えて、外部者である支援型の外国NGOとの役割分担について論じている。外国NGOは主役ではないが、同時にlocal NGOが持ち得ないようなアイディアや技術、資源の面で積極的に評価すべき点を持っていることも事実であり、両者の関係が支配・被支配ではなく、対等で相互補完的なものになりうる可能性を指摘している。
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