本年度の研究では、新興の中産階級が自発的に行った公益活動としての労働者向け住宅建設を取り上げ、19世紀後半から20世紀初頭にかけての歴史的な推移を追究し、類型化した。その展開の過程は企業家による自発的な住宅供給の歴史的な「進化」として把握できるものである。 最初に登場するのは、Titus Salt (1803-76)のソールテイアーやEdward Akroyd (1810-1887)のアクロイドンといった企業住宅村である。これらは僻地に大規模な工場を建てる際に、労働者の確保を兼ねて作ったものであった。したがって、そこでは公益よりも企業の利益が優先された。しかし、その住宅水準は、間接的に労働者の住宅改善に寄与した。ロンドンでは、同業組合等による組合員のための住宅建設に続いて、5%フィランスロピー方式が登場する。これは5%という相対的に低い利益率で労働者向け住宅建設事業に、土地や資本を提供するものであった。これは慈善的、公益活動的性格をもっていたが、やがてその5%という数字自体がネックになる。これを乗り越えたのが、企業家たちが晩年その莫大な富を提供するトラストであった。George Peabody (1795-1899)、Edward Cecil Guiness (1847-1927)、Samuel Lewis (1837-1901)、William Richard Sutton (c.1837-1900)らが競って労働者向け住宅建設のためのトラストを作った。だが、これらの試みには、ハウス作りはあっても、ホーム作りの観点はなかった。また、環境に配慮した街作りの観点も不足していた。こうした問題点を解決しようという試みが、George Cadbury (1839-1922)による日光、緑、新鮮な空気という三要素を伴う住宅村、ボーンヴィルの建設であった。これは当時の田園都市運動にも影響を及ぼした。これらの過程は、最終的には、Joseph Rowntree (1836-1925)によるニュー・イアーズウイック庭園住宅村のコンセプトに集約された。
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