本研究においては、労働市場における賃金等の不確実性が、労働力の地理的移動のスピードと変動に与える影響を考察する。理論的には、近年応用が広がっているオプション理論を適用し、中長期的な賃金上昇の期待と不確実性が、不可逆性の大きい労働移動に与える影響を、一般均衡理論の枠組みで分析する。実証としては、アパルトヘイト後の南アフリカ共和国における、黒人労働力の移動を利用する。1年目は、主に理論的研究を行った。 具体的には、前年度より継続して、単純な一般均衡モデルの枠組みで、移動コストに異質性のある農村労働者の都市部への移動のダイナミックスを、可能な限り理論的に特徴づけようと試みた。その中で、一般均衡にすることで、従来オプション理論では外生的に与えていた価格過程が内生化され、ある時点で予想される価格の分布が、マルコフ過程では描けない「歴史依存性」を持ってくることが分かってきた。これは、ある時点での賃金の変動が、過去に移動した農村労働数、すなわち、過去に経験した賃金の最大値に依存するためである。 そこで我々は、数ヶ月前より数学者(慶應義塾大学経済学部教授 厚地淳)に協力を依頼し、内生化された賃金過程の解の存在など、基礎的な数学構造の解明を進めている。このことは、単純な仮定から出発した我々のモデルが、経済学的に有意義なだけでなく、数学的にも興味深い問題を示していることを意味し、良い展開だと考えている。 今年度は、本課題に直接結びついた論文の発表はなかったが、別表の研究発表の他に、本課題の前段階に執筆された、"Apartheid and the Motivation of Migrant Workers"(by Akabayashi and Suga)をEuropean Meeting of Econometric Society (Stockholm)で発表する機会を得た。そこで、我々が南アフリカを題材にした労働移動研究の先端にいることを確認しただけでなく、本課題に関係する論文を過去に執筆したMichael Burda教授と話をする機会を得、我々の研究課題は、Burda教授の知る限りでも誰も行っていないことを確認した。
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