2001年4月27日に小泉純一郎内閣が発足した。小泉内閣は「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに掲げ、当時の最大の懸念材料であった「大手銀行の不良債権問題」が真っ先に解決しなければならない構造改革とした。 不良債権問題を解決するにあたって、最初に柳沢伯夫大臣が、次に竹中平蔵大臣が取り組んだ。だが、公的資金注入について両者の見解ははっきりと分かれていた。柳沢氏は民間の力で独自に不良債権処理が進められ、景気は自律回復していくだろうと考えた。当然、政府が民間銀行に公的資金を無理やり注入することなど考えられないと判断した。 それに対して竹中氏は政府が率先して不良債権処理を進めていかなければ、景気が回復するのにかなりの時間が掛かるであろうと考えた。そこで、公的資金注入を視野に入れた金融再生プログラムを発表した。 本論文ではこうした両者の違いを過去の発言に基づきながら、理論的に整理し、米国・スウェーデン・韓国の事例を紹介しながら、公的資金注入の是非が景気回復の調整速度をどう見るかで定まることをモデル分析を通じて明らかにした。
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