研究概要 |
大英図書館所蔵旧インド省文書を調査する中で、20世紀初頭の東アフリカにおけるルピー銀貨の根強い流通を確認することができた。ソブリン金貨はほとんど流通せず、インドからもたらされるルピーが過高評価されて受領されていたのであるが、その原因の一端は1911年のウガンダにおけるルピー銀貨流通に関する報告からうかがい知ることができる。同地におけるルピー銀貨需要は主要な輸出産品である棉花の買い付けと密接に結びついていた。収穫期に生産者に渡される小額面のルピー銀貨が受容されたからである。そのため毎年のように同銀貨が東アフリカに持ち込まれ、退蔵されたとされる。この棉花買い付けにおける小額面通貨需給の逼迫という状況は、同時代のエジプトでも現れていたようであり、構造化していたとみなされうる。 したがって、大量の現地産品の輸出と結びついて、ルピーのような特殊な外国銀貨が過高評価される要因を作っていたと考えることができるが、ただし問題はさらに重層的である。なぜなら、ルピー銀貨ですら、生産者の日常的売買には高額面すぎたからである。エチオピアでは、オーストリアのマリア・テレジア銀貨が輸出されるコーヒーなどの代価としてもたらされたが、地方市場では、塩の棒や布などによって売買が媒介されていた。銀貨とそれらの交換比率は、時期的に変動し、かつ地理的に多様であった。ルピーやマリア・テレジア銀貨は、地方市場で支配的な現地通貨と、ポンドのような国際基軸通貨とを結ぶ、いわば緩衝器のような役割を果たしていたが故に、過高評価されたのだと考えられる。この三重構造は,東アフリカにとどまらず、東アジアも含めた世界中の外国通貨流通に敷衍できるものであろう。
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