本研究の目的は、通信機工業の勃興期であった明治期を対象に、沖牙太郎と岩垂邦彦の企業者活動に焦点を当てることによって、当該期における通信機ビジネスの特徴を明らかにすることである。本研究は、まず、沖電気の創立者である沖牙太郎の企業者活動について分析した。これまで沖牙太郎は、「技術国産主義」を掲げる経営者として海外企業との競争的な側面が注目されてきた。 しかし、ウエスタンエレクトリック社が日本に派遣した社員・カールトンの書簡などから沖牙太郎の行動を再検討すると、沖牙太郎はウエスタンエレクトリック社との提携に合意しており、提携が成立しなかった要因はむしろウエスタンエレクトリック社の判断にあったことが明らかになった。また、沖牙太郎はウエスタンエレクトリック社製品の輸入を中心とした輸入ビジネスを積極的に推進し、それによって通信機ビジネスの成長が可能になったのである。このように、沖牙太郎の金業家活動は、従来の「技術国産主義」という範囲では理解できない、柔軟かつ積極的な内容であった。 一方、日本電気(NEC)の創立者である岩垂邦彦は、沖牙太郎のビジネスとウエスタンエレクトリック社との仲介役を果たしつつ、独自のコンサルティング能力によってウエスタンエレクトリック社の信認を得て、最終的には、ウエスタンエレクトリック社の子会社である日本電気の設立を任された。沖牙太郎が創業した沖商会と岩垂邦彦が創設した日本電気は、競争と協調のなかで通信機ビジネスの発展をもたらした。通信機ビジネスの発展は、沖牙太郎と岩垂邦彦という2人の異なったタイプの企業家の存在が、相乗効果を持つことによって促進されたのである。なお、本研究の成果の一部については、企業家研究フォーラム全国大会(2004年7月4日)において報告をおこなった。
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