本年度は、資料調査を6回行ない、対馬歴史民俗資料館が架蔵する宗家文庫史料から「御郡奉行所毎日記」を中心に、約2万コマを撮影した。また、生態環境を確認するための現地調査を1回実施した。 調査から得られた知見・成果は以下の通りである。 1 対馬がもっとも繁栄した1660〜70年代に、山林・土地への利用圧力はすでにかなり高い水準にあり、1670年代後半に入ると明確に資源制約が働いていた。 2 山林資源の過剰利用・枯渇には、上方などすでに山林資源が希少となった地域からの需要、あるいは銀山で使用する精錬用の炭の供給が深く関わっていた。その後、立ち木の減少・木庭の伐明け間隔の短縮・木庭面積の拡大などによって表土流出が進み、1695年以降は土砂災害が顕著になった。また、銀山用の炭木伐りは、伝統的な救荒食確保を困難にし、銀山周辺地域の住民に直接影響を与えた。 3 御郡奉行所はこうした一連の事態に対応するため、18世紀初頭から多様な対策を開始した。それらはなんらかの形で山林の保全と結びついており、それが享保期の木庭作停止政策へとつながっていった。 4 その背後では、郡の人柄の御救を郡として行なわなければならない状況が、藩の財政逼迫から生じていた。御郡奉行所にとって、山をそのための重要なファンドのひとつであった。 5 寛文11(1671)年から享保20(1735)年までの「御郡奉行所毎日記」のうち、本研究課題に関連の深い約3600件の記事について、御郡奉行所が作成した当該記事の綱文を入力し、報告書に掲載した。
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