不完備情報下における逆選択は、企業の中の異動(人材取引)においても生じているのではないか。そこで、日本の小売業2社を比較分析し、社内労働市場における「異動の力学」を規定するパラメータに情報の非対称性を据えることの有効性を示そうと試みた。ケース分析では、人事異動を調整・決定する主体の間には情報の非対称性があることが確認された。個人情報は日常の仕事ぶりを直接観察する事業部門に、組織情報は戦略策定に関与する人事部に断片的に保有される。両者は人材の将来の可能性において「対称的無知」の関係にある。事業部門による人材の抱え込みは、組織情報-例えば新たに人材を必要とする新規事業の戦略的重要性-にたいする事業部門の理解不足と、個人情報-例えば人事考課など標語でないキャリア志向など「粘着性の高い情報」-にたいする人事部の収集不足という2つのタイプの情報の非対称性にもとづいて発生することがわかった。 次に日本とアメリカ資本の小売業の比較分析から、情報の非対称性は、情報システム特性と人事管理特性の補完関係によって類型化する「双対原理の組織モ-ド」において、日本型組織モードに根ざして生成すること、および人事権をライン・マネジャーに委譲するアメリカ型組織モードにおいては問題にならないことを、明らかにした。しかし、競争のグローバル化はアメリカにおいて実践された戦略オプションの学習を促すので、アメリカ型への変容は着実でもある。これはグループ経営改革および、ビジネス・プロセス改革の事例において観察できた。日本型の本社人事部への人事権の集中化は、程度の差こそあれライン分権化に変化する。しかし、これまでの日本型組織モードの諸特徴を維持しようとする抵抗もある。日本型組織モードはアメリカ型には完全には移行せず、したがって情報の非対称性は日本企業にとって変わらぬ人事管理の課題であることがわかった。
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