3年間の資料収集に基づき、文学作品を受容する側を焦点化する論考をまとめた。筆者の問題意識として、文学作品を通して和人側の意識をとらえたいという志向が強く、受容のされ方に社会意識がよく読み取れるからである。 報告書は4章構成になっている。第1章では、筆者の問題意識や課題設定、研究経緯、今後の課題・展望など、現時点での到達地点を述べる。 第2章と第3章は、1950年代後半ほぼ同時期に生み出され、その後長らく<アイヌ>ものの「名作」として読み継がれるようになった二作の受容過程を批判的に検討している。第2章で扱う青少年向け小説『コタンの口笛』は、刊行直後から「名作」の誉れが高かったものの、同時代にこの小説の欠陥を指摘する鋭い指摘がなかったわけではない。しかしながらそれは社会的な影響力を持たず、同書に対する表立った批判が着目されるようになるのは1970年代以降である。それでもなお現在に至るまで、『コタンの口笛』はロングセラーとして出版され続けている。 第3章では、大衆小説『森と湖のまつり』に対する毀誉褒貶をあとづけた。『コタンの口笛』とは違い、『森と湖のまつり』には複数の批評家から作品の価値を疑問視する評が寄せられてきたのだが、「観光小説」として娯楽的に消費する読者層と深遠な主題を深読みする批評の並存の結果、これもまた後年まで読み継がれる小説となる。 前2章が和人作家の作品であるのに対し、第4章はアイヌの作家鳩沢佐美夫の遺稿集に寄せられた佐々木昌雄の解説の批評眼と政治性について論じている。鳩沢がとかく直截な「告発」者として和人からもてはやされ受容されがちだった傾向に釘をさし、佐々木は鳩沢小説の本質的な価値を示す読解を示した。佐々木の後にも、鳩沢を自分の都合のよいようにしか読めない和人読者・批評家が存在することを思えば、佐々木の問題提起は今日に至るまで価値を失っていないものである。
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