カール・ラートゲン(1856-1921)の出自・足跡・業績については判明していないことが多い。そこで、彼の主著『日本の国民経済と国家財政』の読解に取り組むとともに、日本及びドイツに遺されている第一次史料を渉猟し、彼の足跡を辿った。マールブルク大学図書館において、彼の同大学勤務時の学内資料を閲覧し、同大学に国家学ゼミナールを開設したのがラートゲンであったことを知ることができた。カールスルーエ総合公文書館、ハイデルベルク大学史料館、同大学図書館において、彼の同大学勤務時の重要史料を多数発見した。またその際、彼の同僚マックス・ヴェーバーに関する史料を多数発見した。同大学のM・ライナー・レプジウス教授と会見したところ、これらの多くは『マックス・ヴェーバー全集』の編集者の間でもまだ知られていなかった新資料であることがわかった。ベルリン・プロイセン機密公文書館においてラートゲン書簡を閲覧し、これによって、マールブルク大学からハイデルベルク大学への割愛の経緯を明らかにした。ドイツ外務省政治公文書館において、彼の滞日中の外務任務と帰国時とに関する史料を閲覧し、これによって、帰国からベルリン大学勤務までの経緯を明らかにした。他に、ドイツ各地の図書館において、ラートゲンとその周辺の人物に関する図書・史料を閲覧した。またラートゲンの令孫バルトホルト・C・ヴィッテ氏と二度会見した。この調査を通じて、ラートゲンとヴェーバーの大学人としての活動の一端が判明したので、第77回日本社会学会大会(2004年11月20日、於熊本大学)において、「マックス・ヴェーバーはいかにしてハイデルベルク大学に招聘されたか」と題する研究報告を行い、また論文「マックス・ヴェーバーとハイデルベルク大学(1)」(佛教大学『社会学論集』第39号、2004年9月)「同(2)」(同誌第40号、2005年3月)を執筆した。
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