ハンセン病療養所に勤務し、ハンセン病患者の治療にあたってきた専門医に関して、その活動の参与観察をおこなうとともに、ライフストーリーも含めたインテンシブな聞き取りをおこなった。聞き取り対象となった医師たちは複数あり、本人によるトランスクリブト(逐語録)のチェックを完了したものもあったが、発表のタイミング等の関係で、今回の成果に生かせなかったものもあった。また、研究期間中には、療養所医師の治療の是非を問う「多磨全生園医療過誤裁判」の公判・判決、同控訴審の和解があり、その過程をつぶさに追うことも本研究の中心課題となった。 今回の成果の中心は、長年日本のハンセン病療養所や研究施設で臨床と研究の経験を積み、定年退職後の現在もインドネシアの濃厚流行地において疫学的研究と臨床に関わっている医師についてのものである。彼の人生を幼少期からたどり、「科学的ハンセン病医学」の確立にいかに尽力したかをライフストーリーから明らかにした。その主張は、しかしながら、ハンセン病訴訟が起こるまで関係者たちから無視されてきた。このことは日本のハンセン病世界の状況を逆照射した。また、現在その医師がおこなっているインドネシアでの疫学調査に同行し、医師の活動実態を把握した。あわせて、インドネシアにおけるハンセン病患者や彼らを支援するハンセン病専門医たちの状況についての知見も得た。実験医学に関する「科学技術の社会学」の可能性もさぐった。 また、医師による治療を受けてきた療養所入所者や退所者にも聞き取りをおこなうとともに、本調査期間に出現したハンセン病問題(温泉ホテル宿泊拒否事件)ついてもまとめた。さらに、ライフストーリー・インタビューの方法論についてハンセン病研究の視点から考察した。なお、中心課題のひとつ、医療過誤裁判についての論考は、トランスクリプト使用の許可が下りなかったこともあって、成果に含めることができなかった。
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