今年度の研究改革では、本来ならば、イギリスにおいてイギリス外務省文書およびイングランド長老教会文書の調査をする予定だった。しかし、この計画を変更し、アメリカにおいてアメリカ国務省文書およびアメリカ長老教会文書の調査を行った。研究計画を変更した理由は、一つには、イギリス外務省文書の大部分が日本国内においてマイクロフィルムで閲覧できることが判明したことであり、もうひとつには、台湾におけるイギリス系のミッション・スクールをめぐる動向が朝鮮におけるアメリカ系ミッション・スクールをめぐる動向と密接に連関していることに気づき、アメリカ国務省文書およびアメリカ長老教会文書を調査する必要を感じたためである。このほかに、カナダのノーバ・スコシア公文書館におけるカナダ系ミッション・スクールをめぐる資料は、現地に赴かずにコピーの送付を依頼することができた。 以上の調査によって、1930年代の日本内地・台湾・朝鮮におけるミッション・スクール排撃運動が相互に複雑に連鎖していること、また、アメリカやイギリスの外交官や宣教師が相互に密接に連関をとりあっていることを解明、その内容を2004年10月に開催された教育史学会大会で報告すると共に、その後の調査を補充して『立教学院史研究』(2005年4月刊行予定)に公表した。ただし、現時点でまだイギリス・アメリカなどで調査した資料の一部しか用いることができていないので、2006年度中にさらに多くの論文を公表する予定である。
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