研究概要 |
本研究は、1920年代に、家庭教育がどのように議論され、どのような役割が求められたのか、子どもにとっての母と家族がどのようなものとして論じられたのかを、明らかにすることを目的としている。このことは、国民国家としてのアイデンティティの強化が求められるなかで、近代家族がどのような役割を果たしたのかを分析するものであり、近代家族と国民国家の共犯関係を結びつつも矛盾し錯綜した関係を、比較社会史の視点から再検討するものである。 本研究におけるキーワードは<母の日>と家族である。1920年代という時代に、国際的にどのように議論されたのか、また国民国家内部でどのように議論されたのか、共時的に母の日が多くの国家で制度化されていく際の議論を、その相互の関連性をといつつ比較検討する。特に、第一次大戦の敗北後、国民国家の再建という課題をおったドイツを中心に、母の日が創造されたアメリカとの緊張関係に注目しながら分析することを目的としている。 平成18年度は、本研究の最終年度にあたり、これまで蓄積した資料の分析をいっそうすすめ、さらに全体の総まとめをおこなった。 まず、ヴァイマル憲における家族がどのように論じられたのかを、小玉亮子「ヴァイマル憲法第119条の成立-国制に家族はどう位置づけられたのか-」(比較家族史学会編『比較家族史研究』第21号,2007年掲載決定)にまとめた。ヴァイマル以前のビスマルク憲法においては、憲法上の家族の位置づけは極めてささやかなものであったが、最終的に、「子どもがたくさんいる家族」、という限定的な家族がことさら明記され注目されることになる。なぜ、このような特殊な家族がヴァイマル憲法において位置づけられたのか。この点をあきらかにすることによって、1920年代における家族と母性の法制史上の位置づけをあきらかにすることができた。 これと平行して、親子関係に関するいくつかの論考を執筆し、母の日に関して、小玉亮子「母の日をめぐる近代家族のポリティクス-二つの理想のはざまで-」(金井淑子編『ファミリー・トラブル-近代家族/ジェンダーのゆくえ-』明石書店,2006,pp.119-136)と、小玉亮子「父の日の政治的挫折と復活-アメリカ合衆国議会で承認されるまで-」(小玉亮子編『現在と性をめぐる九つの試論-社会・言語・文学-』春風社,2007年近刊)をまとめた。 法制史的分析とならんで、「子どもがたくさんいる家族」とそこにおける母の位置づけをあきらかにする社会史研究を合わせることによって、近代家族の家庭教育における、母というもの、そして父というもの位置づけとともに、それが国家にとってどのような意味をもったのか、を明らかにした。母の日を手始めにすすめてきた本研究は、子どもにとっての母、家族、そして、父を射程にいれたものとして、まとめることができた。
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