本研究は昭和戦前期の市町村立「義務教育後」教育機関が道府県立へと設置者変更されている事例を分析し、学校施設の水準や教員資格など、設置者変更認可の要件、変更に要する市町村の財政的負担とその処理方法、これらを克服していった地域住民の変更要求の動機を明らかにしようとするものである。 今年度の研究成果は以下のとおりである。 1.昨年度に引き続き、設置者変更認可文書を渉猟し、国立公文書館の文部省移管文書から本件急に関わる行政文書の検索と複写を行った。当初高等女学校を軸として、北海道以外の他府県の事例の抽出を考えたが、労力と見込まれる成果を考慮し、対象を道内に限定し、他の中東教育機関である中学校、農業学校、商業学校の許認可文書を検索、複写した。 2.同時に法令全書等で昭和初期の中等学校開設認可の告示を収集し、全国的な中等学校の拡大状況を確認した。 3.その結果、道内においては高等女学校同様、中学校や実業学校でも市町村が開設し、完成年度前後に道に寄付するという設置者変更が頻繁になされていることを確認できた。特に中学校の場合、近隣都市部に中学校がある周辺町が、まず高等女学校を作り、その設置者変更に成功すると、直ちに中学校を設立し、高等女学校と同様の手法で庁立中学校を獲得しようと試みていることが注目される。 4.このような設置者変更は、町立よりも庁立のほうが信用されるというより高いレベルでの公立化を求める声と、市町立であるのに近隣町村の子弟を受け入れているという財政負担の均衡を求める声に支えられていることが考えられる。 このような経緯について、北海道教育学会において口頭発表を行った。
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