本研究では北海道内において昭和戦前期の町立中等学校が設置者変更によって道庁立へと移管していく事例を収集し、設置者変更に際して求められた学校施設や教員スタッフの水準、変更に要する町の財政負担とその処理方法などを分析することを通じて、地域住民にとっての移管の意味を考察しようとするものである。 前年度までは主として高等女学校の事例について検討してきたが、最終年度は町立中学校の道庁移管のケースについても本格的な分析し、また研究全体のまとめを行った。 その結果、昭和ゼロ年代に頻繁に確認された、町立実科高女設立→本科高女への組織変更→庁立移管という一連の庁立学校獲得方法は、中学校設立に際しても積極的に活用されたといってよいことを確認した。すなわち戦時下において、道内では次々と町立中学校が設立され、場合によってはかなり不完全な状態でもそれを庁立移管しているケースが頻繁に確認できた。 地域住民があくまでも移管にこだわるのは、同じ公立中等学校であっても、町立よりも庁立の方が格上であると考える庁立志向のゆえである。このメンタリティは、市町村立高等学校の北海道立移管問題として戦後に引き継がれることになったと考えられる。その証左として、新制公立高等学校の名称には「学校差観念を除去するため」設置者名を冠しないことにする、という戦後直後の北海道教育委員会告示を発見するに至っている。 以上の成果を「学校と設置者-設置費用の負担とその管理」と題し、教育改革への提言という形で発表した。
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