研究概要 |
1980年代から2000年代にかけて行われてきた韓国からの日本の歴史教育-教科書に関する批判は、reciprocityよりegocentricityに、普遍的有用性より国家的有用性の追求に傾斜し、学問的成果よりマスコミの提供する情報に基づいていて、事実関係の認識より主観的判断が優先する構造をもっている。1980年代に比べて1990〜2000年代の批判にreciprocity,普遍的有用性への重点の移動が見られるが、批判構造の変化までには至っていない。 このような構造の中で行われる批判は「世論」のレベルにとどまり、「論争」へのレベルアップを期待することができない。世論レベルの批判が展開される過程では、歴史教育-教科書問題の解決に向けた日韓間の國際コミュニケーションが成立しにくいのである。特に、韓国の世論は、日韓関係を特殊なものとして捕らえる傾向が強く、歴史教育-教科書問題が提起されるとそれを直ちに日韓間の「特殊な枠」の中に入れてしまい、枠内の全ての要素と区別しないまま「未分別」の非難、批判を繰り広げる。そこでは、歴史教育-教科書に関する限定(分別)された本質的でアカデミックな論争が起こるはずがない。 日韓両国間の歴史教育-教科書問題をめぐる摩擦の解決の模索は、構造的関連性をもつreciprocity(相互理解性)、普遍的有用性を追求し、学問的成果に基づいた事実関係の認識の形成、共有から始めなければならない。そのためには、この問題の原点である子どもの歴史認識の発達問題を基軸にした論争が欠かせないと思われる。
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