本年度は、建設業の規制が近代国家を確立した明治から、上記の建設業法の確立までどのように展開されたか一連の流れの中でとらえた。これは、既往の研究や文献では、斯分野を扱ったものがほとんどなく、まず始めに建設業を規制する全体像を把握する必要があると判断したことに関係する。 そして今年度の研究からは次のような知見が得られた。そもそも建設業は我が国の産業の中で特殊(正当に扱われないという意味で)に扱われ、産業区分も「雑業」に位置していた。歴史的展開では、ます明治の初期にあって、同業者組合の親睦的関係から、いわば民間による自主規制が行われてきた。 明治から大正に入ると、同業者組合での規制だけでなく、大手の企業を中心とした近代経営が確立されるようになり、法人格の獲得、会計帳簿の整備や社員の服務規程等が整備されるようになった。また、大正期にあっては市街地建築物法(大正9年)が制定され、建設業もその規則の中に含まれ、内務省関係の事項であるために警察がその管理を行っていた。 そして、昭和の10年代に入ると、戦時態勢が避けられず、国家一丸の生産力の向上を果たすために、建設業にあっても統制がとられた。この時期にあってはじめて建設業が国の規制を全面的に受けるようになったといえる。また、国家による建設業の管理は、陸・海軍管理による建設協力会等の斯業の組織化を生み出した。また、昭和に入ると特に労働関係法が建設業にも適用され、財務、経営、技術のほかに安全性も規制の対象となった。これらの歴史的展開をみると昭和25年の建設業法は全く新しい取り組みとは言えず、歴史的経験が生かされたものといえる。
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