平成15年度には、仙台の中心芭蕉の辻に面して建つ城郭風町家およびその他の土蔵造り町家について、絵画資料・図面・文書の調査および遺構調査を実施した。城郭風町家の正確な建設年代はわからないが、天明から文化までの間には建設されていた。その外観意匠は城郭建築の意匠を受け継ぎ、塗籠真壁風である。いっぽう、周辺の土蔵造町家は大壁である。初期江戸における城郭風町家には、三階建と二階建があり、当初は真壁風の外観意匠であったが、やがて大壁がふえる。いっぽう、仙台では、江戸中期まで、板葺、茅葺の町家が建ち並んでいたが、享保の大火後、芭蕉の辻付近には土蔵造町家が建ち並んだ。その意匠は土蔵からの大壁の系譜である。その後、芭蕉の辻には城郭風(真壁風)町家が建てられた。つまり、仙台では江戸とは逆の系譜をたどり、城郭風真壁が遅れて登場した。以上の成果は、2003年日本建築学会大会にて発表した。 また、駿府築城の様相を描いたとされる名古屋市博物館蔵『築城図屏風』について、金沢城下との関連性の視点から調査・検討した。『築城図屏風』は、慶長12年の駿府築城に参加した加賀前田家あるいはその有力家臣が、自らの事績を記録することを目的に制作させたとされる。しかし、城郭を駿府城とするには、実情と違いすぎ、断片的情報から駿府城を想像した、あるいは他の城郭を借りてきて描いた可能性が高い。また、整備された町並みの姿も、駿府城下とは考えがたく、京町屋を借りてきて描いたと思われる。以上のように、描かれた城郭が駿府城でない可能性を指摘し、町並みも京風であることを明らかにした。この成果は、城郭シンポジウム「石垣普請の風景を読む」東北芸術工科大学、2003年11月にて発表した。
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