平成16年度には、金沢の町家を中心に、絵画資料・図面・文書の調査および遺構調査を実施した。金沢城下の町家は、元禄期には板葺と石置板葺屋根が混在し、卯建も一部に存在した。その様相は『洛中洛外図』に描かれた京町家に近い町家であり、他に農家風の町家があった。やがて、天保期になると大半の町家が石置板葺屋根となり、サガリが付く。大店の町家には格式表現がされ、出入口部分のサガリに特徴がある。卯建は他の城下町と同様に衰退したが、金沢では袖卯建がみられるようになった。このような、近年までの石置板葺屋根の存続は、同じ地方大城下町の仙台にはみられない金沢の特徴である。 また、駿府築城の様相を描いたとされる名古屋市博物館蔵『築城図屏風』について、金沢城下との関連性の視点から検討した。『築城図屏風』は、慶長12年の駿府築城に御手伝普請として参加した加賀前田家あるいはその有力家臣が、自らの事績を記録することを目的に制作させた。描かれた町並みは、木戸門で築城工事地域とは仕切られ、整備された様相を示している。町家は、いずれも2階建てで、卯建が上がり、屋根は長板葺である。暖簾の掛かった部分が奥への通り庭で、その横がばったり床几や格子を設えた店先となる。これらの建築的要素は、林原美術館本など近世初頭の『洛中洛外図屏風』に描かれた京町家ときわめてよく一致する。また、2階の屋根を突き抜けて建つ土蔵も、近世初頭の『洛中洛外図屏風』や出光本『江戸名所図屏風』と同様の様相である。 以上のように『洛中洛外図屏風』に描かれた町家・土蔵とも、京町家およびその影響を強く受けた初期江戸町家の特徴を示している。もし描かれた町家の姿が、駿府の町家を正確に伝えていたとすれば、当時の最先端の町と言うことになる。しかし、絵師が駿府城を実見していない可能性が高いことからすると、描かれた町並みも、京町家の姿を借りてきた可能性が高い。 以上の成果は、2004年日本建築学会大会にて発表した。
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