九州北部おける近世の伝統的木造建築大工の作風とその伝播方法の研究については次の結果を得た。 1.大工棟梁佐藤左之策は大分県九重町町田の住人で、明治3年(1870)7月22日68歳で没した。墓は砥石山部落の山中にある。従って、佐藤左之策は享和3年(1803)の生まれである。 調査研究の結果、佐藤左之策の作品は九重町の山神社本殿・拝殿(湯坪)、小倉神社本殿・拝殿(八久保川東)、日吉神社本殿(右田神の迫)、皇大神社本殿(小園)、浄明寺本堂(菅原)、宝円寺本堂(松木)などである。これらは、棟札又は文書によって、佐藤左之策の作品であることが確認できた。しかし、小園皇大神社本殿は棟札がなく言い伝えである。 これらのうち、山神社と小倉神社については、平成15年度日本建築学会九州支部に於いて発表し、作風として2神社の類似点を次のように指摘した。 1)妻飾りが二重虹梁大瓶束笈形付きである。2)結綿が三葉である。3)中備は四面とも本蟇股。4)身舎頭貫木鼻が絵様。5)正面は蔀戸、正面向かって右側面前端間に出入口を設け、板唐戸をたてる。6)向拝組物は出三斗、両端は連三斗で大斗は皿斗。7)浜縁、浜床が付く。8)天井は内・外陣共に竿縁天井。9)天井回縁は一手出して支える。 日吉神社と皇大神社については、平成16年度の日本建築学会大会、浄明寺本堂と宝円寺本堂については、同年度九州支部にて発表する予定である。 その上で、作風の伝播についてまとめて言及する計画である。 2.調査研究を進めていくうちに収集した、下関市長府博物館所蔵の大工河村家文書の解読を進め学内研究報告に発表した。 3.同様に、山口市立埋蔵文化財センターに寄託された「ひわだ屋」佐々木家文書の解読も進め、学内研究報告に発表した。
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