フタホシコオロギは腹部末端に1対存在する尾葉上の機械感覚毛で体の周囲の空気の動きを感じ取ることにより捕食者等の接近を知り、逃避行動を解発する。片側尾葉除去後のコオロギは約2週間で補償的な回復、すなわち正確な方向への逃避行動を示すようになるが、それには自身が動くことによって生じる残された尾葉感覚系への自己刺激が必要であること、またその際の運動出力のコピーシグナル、すなわちEfference copyが神経系の変化に必要であると考えられてきた。 本申請研究は、この回復の過程で運動出力のコピー信号、すなわちEfference copyが自身の感覚系の異常を知り神経系の反応性を修正するために必須であることを証明することを第一の目的としていた。そのため、腹部神経索を下行する介在神経が歩行中に示すバースト活動がEfference copyであることの証明の一部として、このバースト活動が実際の歩行が開始する前からスタートすることを明らかにした。コオロギの動きをモニターするビデオ画面内に下行性介在神経の活動を同時に記録する装置を開発し調査を行ったところ、下行性介在神経のバースト活動はコオロギの体のどの部分(例えば、触角や腹部等)の動きよりもビデオフレームにおいて平均1.9コマ、時間にすると約63ミリ秒先行していることが明らかとなった。また、実際に体の前進運動を作り出す肢(6本のうちのいづれか)の動き開始に対しては、平均5.9フレーム、時間にして約197ミリ秒先行していることが明らかとなった。今回得られた結果は、行動補償における下行性介在神経のバースト活動の重要性を裏付けるものと考えられる。 人為的に歩行量を変化させることができる装置を用いて、片側尾葉除去後のフタホシコオロギの逃避方向の回復に、歩行が有効に作用する期間を調査した。その結果、切除後の早い時期には歩行量の増加と共に回復が促進されるが、遅い時期には歩行量の増加にも関わらず回復が起こらなかった。この結果は、感覚除去後の行動の補償的変化においても臨界期がある可能性を示すもので、神経系の可塑的性質の基盤となる機能変化のメカニズムを考える上で、非常に興味深い事実である。
|