本研究は、戦後沖縄に導入され、短期間のうちに全島に普及した近代的建設技術によるコンクリート建築について、民間住宅から公共建築に至る多様な建築を対象に調査研究を行い、その普及と展開過程において見られる地域性の表出について考察を試みたものである。 1章「コンクリート建築の普及と設計技術」では、沖縄のコンクリート建築が急速に普及し、今日の建築生産の基盤を形成した本土復帰以前の状況に注目し、米国式近代建築生産方式の導入に伴う地元建築のコンクリート化の過程を辿った。その過程においては、大量な建築生産において設計技術の標準化と単純化が盛んに行われ、先進技術の地元建築事情への適応形態が解明された。 2章「コンクリート造住宅の展開」では、今日の沖縄コンクリート住宅の標準的造りを表している沖縄県住宅供給公社の戸建て住宅に着目し、コンクリート造住宅の約半世紀に及ぶ地元への定着過程から、数世代にわたる居住体験によってコンクリート造住宅がどのように進化し、いかなる部分が改変され、地域の事情に適応していったのかについて調査分析した.その結果、コンクリート造の設計内容は、気候風土への対応、及び生活様式の変化に対して試行錯誤を経て今日の姿が形成されている事が明らかにされた。 3章「公共建築における地域性の表現」では、沖縄の本土復帰前に起こった所謂「沖縄らしさ」への関心の盛り上がりの基礎を形成した琉球政府立博物館と那覇市公会堂の計画案をめぐる問題について焦点をあて、前者については、計画案の変遷過程では米軍統治下における軍当局と地元行政当局及び設計担当者との三者の主張の相違の中で最終案に至った経緯を明らかにした.そして、後者では、前者の経緯を基に地元行政当局と建築界が一体となって沖縄に相応しい近代建築の在り方と新しい表現手法を模索した経緯を明らかにした。
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