閉眼安静状態におけるヒト後頭部には、主として10Hz前後の律動的な脳波(アルファ波)が観察される。このアルファ波は、眼球を介して入力される光刺激の影響を強く受けることが知られているが、本研究ではこの刺激に対する脳波の位相応答を、ウェーブレット解析および複素デモジュレーション法によって解析した。これにより以下の2点が明らかになった。 (1)アルファ波は10Hz前後のパルス光に対して引き込みを示すが、引き込まれる位相差は複数存在し多重安定性をもつ。またパルス光提示後の脳波はいずれかの安定性を確率的に選択するが、この選ばれた状態は長時間持続せず、絶えず引き込みと脱引き込みを繰り返し、いくつかの安定位相のあいだを確率的に遷移する。この遷移は内因的な多自由度の非線形ダイナミクスに起因すると考えられ、位相引き込みの遷移時間はガンマ分布に従うことがわかった。このガンマ分布の性質から、パルス光に対する脳波の引き込みは複数の離散的な過渡状態を経て実現するポアソン過程的であることが示唆された。すなわち光刺激の受容と認知を司る領域は離散的なステップから構成されるモジュール構造を成していると考えられる。 (2)こうした脳波の引き込みは、光賦活だけでなく、認知プロセスに広く現れる普遍的な現象であることが以下の実験的研究から明らかになった。すなわち、図形提示後に現れるガンマ波や、音刺激に対するアルファ波とガンマ波は、いずれも刺激から150〜800msのあいだに特徴的な引き込みを示した。とりわけ複雑で高度な認識プロセスを経る顔認識においては、従来生理学的に明らかにされていた主要な事象関連電位とよく一致するガンマ波の間欠的な引き込みが観察されたが、このことは顔を構成する形状成分の認知から個人同定に至る認識モジュールへの遷移過程を反映するものと考えられる。 以上のように、ヒト脳の視覚認識プロセスは、刺激の性質に大きく依存せず、離散的なステップから構成されるモジュール構造を標準的な情報処理機構として有していることが本研究によって示された。この成果は脳の認識機構をモデル化する上で重要である。
|