I 資料調査により、以下の点を明らかにした。 (1)奄美和光園の入園者の聞き取りにおいて、戦後の米軍による患者隔離の実態が明らかになった。 (2)沖縄県公文書館の調査により、琉球政府の公文書類から1960年代においても沖縄では警察官を動員した隔離政策がおこなわれていた事実が明らかになった。 (3)菊池恵楓園の所蔵資料の調査により、1953年段階で、園長の間でも隔離政策に疑問が存在したことが明かになった。 II 倫理的分析として、(a)隔離政策の採択と継続、(b)断種政策、(c)致死的な懲戒検束の三点に論点を整理して、従来の医療倫理の原則論の観点から分析を試みた。概略は以下の通りである。 (1)20世紀の医療倫理史の、患者の権利確立に至る「二つの波」を以下のように捉えた。 第一波(人体実験の被験者の権利確立):「社会ダーウィニズム、優生学→ナチスドイツの軍医による非人道的な人体実験→ニュルンベルク綱領→ヘルシンキ宣言」 第二波(患者の権利確立):「公民権運動、消費者運動の拡大と医療への波及→同意なき医療処置、人体実験等への告発、死や生殖をめぐるプライバシー権の拡大→米国病院協会・患者の権利章典(1973年)→患者の権利に関するリスボン宣言」 (2)ハンセン病政策の歴史的な分析ならびに生命倫理学的分析の軸として、この「二つの波」のなかに日本の医療倫理史を位置づけることを試みた。その結果、国際社会での患者の権利確立が日本に十分な波及効果をもたらさず、また自国の事例や患者の権利運動との乖離が大きいことがより明確になった。
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