昨年度に引き続き、本年度もまたイタリア未来派と日本の新興芸術津運動との関わりについて、各種のオリジナル資料を基に調査研究を行った。文芸雑誌『昴』『明星』『新潮』『日本詩人』『改造』、美術雑誌『現代の洋画』『美術新報』『中央美術』『アトリエ』『みづえ』、さらには明治大正昭和初期の各種新聞がおもな調査対象となった。また、昨年刊行された『木村荘八日記』における未来派関連の記述を基に、1912年初頭に始まるヨーロッパでの未来派絵画巡回展に関する情報がどのような経路を経て日本にもたらされたかについても、かなり詳細な事実関係を明らかにすることができた。一方、欧米で刊行された未来派宣言の各種ヴァージョンを比較検討することによって、従来の定説では、森鴎外が1909年にパリの日刊紙『フィガロ』に掲載された未来派宣言を日本の雑誌『昴』に翻訳紹介したとされているが、その原本がはたして本当に『フィガロ』であったのかどうか、実際にはそれと異なるヴァージョンであった可能性を明らかにすることができた。本年度は、鴎外以降、高村光太郎、小林万吾、第二期新思潮グループ(後藤末雄)、フューザン会員(木村荘八、岸田劉生、瓜生養次郎、斉藤與里他)について、パリ、ロンドンでの未来派絵画展、マリネッティとの関係について、調査し、記述を行った。 写真資料については、明治大正昭和初期における「造形詩」(イタリア未来派自由語)の展開をデジタル化し、後日の出版資料として整えた。また、同時代に国内で出版された未来派関連文献のオリジナル資料について、これまた出版を見据え、撮影を行った。
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