研究課題
日本、中国、ヨーロッパにおける古典のあり方を比較検討すると、古典がけっして単体の著作としては受容されず、他の関連する著作と組み合わされ、いわばワンセットになって社会に受け入れられていることが了解される。この古典体系は、時代と社会のなんらかのイデオロギーによって形成されたものであり、ある古典作品は、かならずこの体系のどこかに位置付けられ、他の作品との関連において意味付けが施されている。たとえば江戸時代後半の儒学的教養世界においては、四書、五経、左国史漢の順に、さらに場合によっては古文真宝、唐詩選を加えて教えられていたのであるが、この経学、史学、文学という順は朱子学的イデオロギーによる価値付けに即していると同時に、教義的命題、歴史的事実、文学的修辞というディスクールの形式の複雑化にも対応しており、きわめて考え抜かれた合理的な体系であったというべきである。論語は、単なる道徳書であるにとどまらず、経学テクスト群の基本理念として働き、ついで歴史テクスト群の中に確認され、さらに文学テクスト群の中に展開される。したがって論語のみを読んだからといって、江戸時代後半にこの著作が有していた影響力のすべてを理解するには至らないであろう。同じことは、17〜18世紀のヨーロッパの古典体系についても言える。その典型はイエズス会のコレージュの教育プログラムであるが、はじめにイソップなどの通俗道徳、ついでモラリストたちの友情論や死生観などの一般論考を経て、神話、歴史、地理書などの百科全書的知識が与えられ、最後に修辞学書とキケロやデモステネスの実際の弁論作品へと至るこのカリキュラムは、確固たる思想と知識の上に弁論技術を鍛えるという当時の教育思想に基づいて組織されている。古典は、単体としてでなく、このように体系として受容されてはじめてその効力を発揮するであろう。
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文学研究的新進路-伝播与接受(東華大学中文系編)
ページ: 465-480
月刊言語(大修館書店) 10月号
ページ: 58-65
季刊・本とコンピュータ(大日本印刷株式会社) 14号
ページ: 53-59
古今和歌集研究集成(風間書房) 第3巻
ページ: 1-34