18世紀後半から19世紀前半までの一世紀足らずの時期にロシア文化/文学が実体としてばかりか言説として成立したこと、そしてこの事実が現代までのロシア文化/文学の基本的性格を規定してきたことは近年のロシアのみならず、欧米のロシア文化史研究にあって広く認められてきたことである。このことを明確に示すのは、ソ連崩壊前後から急速に発展した貴族文化史研究の活性化であり、その中でも特にウサーヂヴァと呼ぼれるロシア貴族屋敷の文化に関する分野において顕著である(最近の研究動向については、すでに2004年に発表した論考「ロシアのウサーヂバ(貴族屋敷)文化研究序説(1)」にも記したとおりである)。 本研究では、こうした貴族文化史研究そのものの再考から始めて、貴族屋敷文化をテクストとしてロシア社会・文化の多面性と多層化を確認すべく作業をおこなった。具体的テクストとしてはメモアールを中心とする文字資料と民衆版画ルボークなどのヴィジュアル資料などである。貴族屋敷自体は17世紀までのモスクワ・ルーシ時代の大貴族の領地に始まり、18世紀以後の新興貴族にたいする分与地、18世紀半ばから西欧文化が定着していく都市郊外の文化的空間としてのウサーヂヴァ、さらに19世紀半ば以降細分化され、商人や市民などの所有対象となる小邸宅地、そして革命による消滅、といった歴史を持つ。この空間を舞台としてロシア近代は展開したのであり、しかもそれはたんなる社会経済史的側面からだけでなく、建築、文学、美術、音楽、演劇などの芸術ならびに思想全体を視野に収めうる文化的トポスとして機能したことを明らかにし得たと考える。本研究の考察対象をロシア文化/「文学成立の文化史」とした意味はそこにある。
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