研究概要 |
外国語学習における発音指導は,対象言語の音声学・音韻論に基づいて行なわれることが多い。しかし,音声学は個々の言語音を記述するために考案された科学であり,音韻論は言語を記述するために考案された科学である。即ち,対象言語を学習者に「紹介」するには適した科学であるが,学習者が現在どのような状況に陥っているのか,また,各状況に対してどのような訓練が相応しいのか,という問い掛けに対しては何ら解答を用意していない科学である。本研究は,これらの問題を考慮し,学習者の「今」を記述するための文字,即ち,音声学・音韻論とは異なるもう一つの音声科学の創成とそれに基づく音声工学の導出を目的としている。 学習者の「今」の記述を行なった場合,そこに性別,年齢,マイク特性,録音室特性などは見えるべきではない。これらは雑音以外の何者でもないからである。即ち音響音声学が呈する文字であるスペクトル表示は使用すべきではない。音声の物理から,性別,年齢,といった「静的な非言語情報」を表現する次元を消失させた新しい音声の物理表象が必要である。そのような表象が存在するのだろうか?本研究では音韻論にその答えを求めた。音韻論では上記した非言語情報を研究者の頭の中で抽象化し,音声活動の言語的側面のみに着眼する。そこでは言語音の系列,あるいは言語音の群に見られる構造,関係,規則を論じる。ある事象群に見られる構造に着眼するということは,各事象の絶対的特性を捨て去り,事象間の関係のみを相対的に論じることに等しい。これはある種の情報の「そぎ落とし」が行なわれることであり,このそぎ落とされた情報が非言語情報となるように音韻論の議論を物理実装することができれば,求められている音声の物理表象は完成する。 音素を確率論的にケプストラム係数の分布として捉え,分布群が成す構造を相対論的に考える。この場合,各分布間の関係(即ち分布間距離)は,情報論的にバタチャリヤ距離を用いて算出する。こうして考えられる音素群構造は,音声に内在する非言語情報に一切影響を受けないことが示される。例えば人間の成長による音声の音響変化は,この構造の回転として見えるようになる。異なるマイクを用いた収録を行なえば,それは構造の平行移動として捉えられる。この音響的普遍構造に基づいて語学学習者を記述すると、母国語による音韻構造の歪みのみが観測される。これが本研究で導出する学習者の「今」を記述する文字であり,この文字(科学)に基づいた音声工学の構築にも着手している。
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