本研究の目的は、特に炭鉱労働者(いわゆる「坑夫」)を事例として取り上げ、明治時代以降、日本の近代化過程において、「坑夫」のなかから近代的な<労働者>の意識がいかにして構築されてきたのかを明らかにすることにある。特に、日本社会の中で"イメージ"として流通する<労働者>像の生成とその伝播について歴史的に考察し、それを通じて固有性を持つ個人が、いかにして自らを<労働者>として自己規定するに至るのか、その意識形成とそのための条件ならびにそれらの歴史的変遷を解明することにフォーカスをあてる。 明治〜大正期に限定して研究を行なった2003年度に引き続いて、2004年度の研究は、昭和30年代のいわゆる「エネルギー革命」以降の石炭鉱業が斜陽産業化したのちの坑夫の労働運動ならびに政治運動における自己表象の資料収集とその解析を行なった。 よく知られているように、1960年の三井三池争議は、エネルギー革命を受けて斜陽産業化してくる石炭鉱業の坑夫による、職場の保全と産業政策の転換を求めて行なわれた労働運動であり、同時期の安保闘争との比較が問題にされる。「安保と三池はひとつ」というスローガンをもとにひとつの大衆運動を作り上げていった労働組合の戦術は、現在から見ればメディア戦略を通じて一職場の紛争を大きな大衆運動に転換することによって成立したものである。固有名をもつ、一職場の闘争ではなく、ひとつの特殊技能を有する「坑夫」ではなく、「労働者」としての自己表象を一貫して運動の中で行なうことで、当時の国民(他の"労働者")の連帯を獲得することに一時的に成功するのである。しかしその後、こうしたメディア戦略とは遊離する形で、実際の坑夫は、むしろ世の中の「遅れた人たち」として語られる対象となってしまった。 この表象をめぐる価値の転換を、明治期の研究(2003年度)と昭和期の研究(2004年度)と比較しながら分析を行なうことが、次年度の研究となる予定である。
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