1.従来の福祉国家研究では冥福観がどう関わるかという視点はなかったが、代表的な福祉国家スウェーデンでは1960年代以降に個別の墓石がない共同墓が浸透し、それは老人福祉サービスの充実と併行していた。福祉の充実と同時に広がった共同墓にどのような冥福観があったのかを明らかにしようとした。第一に、死者の冥福に生者が影響を与えうるかどうかで冥福についての理念型をつくり、死者の冥福に生者は何もできないという教義においてスウェーデン教会のプロテスタントは日本の浄土真宗に似ている。第二に、ライフヒストリーの事例からスウェーデンの共同墓では私的追憶だけがあり冥福を祈ることはないとみられることから、スウェーデンの共同墓は「死者の冥福に対しては生者が何もできない」というプロテスタントの教義を突き詰めたところから出てきたと考えられる。 2.共同墓の一つの例としてスウェーデンの事故で沈没した船を墓と見なせるか、引き上げるべきかが問題になったケースを取り上げ死生観の検討を行った。第一に、船や海が墓だから引き上げは不要と主張したのは海岸部の人々で、内陸部の人々は船や海を墓だと見なしにくかった。内陸部のスウェーデン人遺族の遺体への執着には、日本人に似る点がある。第二に、見ず知らずの他者の死、「三人称の死」への共感が成り立つには、遺族の悲しみへの深い共感が必要で、まず縁者である「二人称の死」を深く味わっている必要がある。一方、阪神・淡路大震災へのスウェーデンの冷淡な反応は、私自身の死、「一人称の死」への不安から「三人称の死」への共感は生まれることを示唆する。「三人称の死」への共感に至るには、「二人称の死」と「一人称の死」を通じての場合がある。先行研究では「一人称の死」が強調されてきたが、スウェーデンでは縁者の死である「二人称の死」と私的追憶の意義の再検討が必要である。
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