Rasプロト癌遺伝子は組織によって相反する作用を持つ。本研究では、Rbをホモ型欠損することによって生じる2種類のがん細胞においてN-ras遺伝子がどのような働きを持つのかを調べた。Rbをヘテロ型欠損したマウスは、Rb遺伝子のLOHにともない、下垂体腺がん(悪性)と甲状腺カルシトニン産生(C)細胞腺腫(良性)を発症する。Rbヘテロ型欠損に加えN-rasをホモ型欠損させたマウスでは、下垂体腺がんの分化傾向が進み、浸潤性が抑制された。対照的に、C細胞からは極めて転移性の高い甲状腺髄様がんが発生した。また、N-rasがヘテロ型になっているとき、このマウスに生じたC細胞腫の36%でN-rasのLOHとそれに伴う腫瘍の悪性転換を観察した。RbN-ras両欠損C細胞がん株では細胞運動を制御するRhoAの活性が亢進したが、野生型N-rasの導入によってこの活性を抑制できることがわかった。面白いことに、同コピー数の活性化型N-rasは反対にRhoAの活性をさらに亢進させた。ヒトの肺癌あるいはマウスに実験的につくらせた皮膚癌、肺癌などで、活性化型の突然変異をもったrasアレルの出現にだけではがんを発症せず、対立する正常アレルの欠損が腫瘍の発生に必須になる場合があることが知られる。つまり、野生型のrasアレルは正常型のそれに対して遺伝学的優性な働きを持つと解釈できる。RhoAの活性制御に関する相反的な作用は、このことのメカニズムの一端を担っていると思われる。最後に、このようなN-ras遺伝子の欠損がヒトの当該がんでも観察されるかどうかを調べた。ヒトの散発性甲状腺髄様がんでは、N-rasを含む染色体1番短腕領域のアレル数異常が効率に観察されることが報告されていた。我々はN-ras近傍のマイクロサテライトマーカーをもちいて、同上18症例を解析した。この結果、そのうちの10例でN-ras遺伝子のLOHを検出した。
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