記憶・学習に深く関与する海馬において、シナプス伝達効率の長期増強(LTP)誘導には、グルタミン酸受容体のひとつであるNMDA受容体(NMDAR)が重要な役割を果たすことが知られている。しかしながら、生体内ではどのような分子機序により、NMDARの機能が調節されるのかについては不明な点が多い。近年海馬においてRasがNMDAR機能修飾を介してLTPを制御している可能性が示唆されているが、その詳細な分子機序は未だ不明である。他の系ではRasの下流因子として、mitogen-activated protein kinase(MAPK)やphosphatidylinositol-3-kinase(PI3K)などか知られているが、最近の報告ではMAPKやPI3KがLTPや記憶・学習に重要な役割を担うことが示唆されている。そこで、神経細胞においてもRasの下流因子としてMAPKとPI3KがLTPの誘導に関与している可能性を検討した。NMDA処理や高頻度刺激を与えた海馬切片においてはERKのリン酸化が有意に亢進したが、これはPI3K阻害剤であるLY294002やWortmanninによって抑えられた。これらめ結果は従来示唆されていたように、NMDAR刺激によるMAPKの活性化はPI3K依存的であることを支持する。しかしながらMAPKの上流因子であるMEKの阻害剤U0126やSL237で前処理した海馬切片では神経細胞の興奮性に依存する5Hz刺激によるLTPは減弱したが、興奮性制御に依存しない100Hz刺激では全く変化が見られなかった。他方PI3K阻害剤で前処理した海馬切片では、100Hz刺激、5Hz刺激によるLTPはともに減弱していた。これらの結果からLTP誘導におけるPI3Kの役割はMAPKの上流因子として以外にも、MAPK非依存的な調節機構にも関与していることが示唆された。
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