研究概要 |
日本は戦後におけるブラジル鉄鋼業の技術導入先として重要な位置を占め,日本によるブラジル鉄鋼業への技術移転はブラジルで成功例として高く評価されている。日本が当初から資本参加・技術協力を行い,1950年代後半から60年代前半にかけて建設されたウジミナスはその嚆矢かつ象徴である。一方で,ウジミナスは日本鉄鋼業にとって大規模銑鋼一貫製鉄所の建設・操業に対する海外技術協力の原点となり,その後の技術協力のモデルとなった。 ウジミナスの建設は多大な困難が伴う事業であった。加えて,当時は海外技術協力事業の黎明期にあってモデルと経験に乏しく,しかも日本鉄鋼業は国内の大規模製鉄所の新設ラッシュと重なったため極めて厳しい条件下で進められた。にもかかわらず,ウジミナスが日本とブラジル双方で評価されてきたのは「人から人への技術移転」すなわち操業指導と技術研修に日本が長けていたことに起因する。 ウジミナス建設と並行して,幹部候補のエンジニアが日本(主として八幡製鉄所)で技術研修を行なった。この技術研修を成功させるにあたっての最大の障害は言語,すなわち双方とも母国語ではない英語によってやりとりしなければならず,通訳や翻訳の手配もままならなかったことであった。この言語の問題に加えて,不慣れな気候や風土に起因する研修生の体調不良も発生した。しかも,技術研修がまだ制度化されていなかったために現場で「やって見せる」ことを中心とせざるを得なかった。研修内容は現場レベルと研修生自身の裁量に任され,即興的・自習的な色彩が濃く,現場の観察が中心であった。ここでは日本研修組は完全なる観察者(やって見せてもらう)であり,日本側は完全なる実践者(やって見せる)であった。こうした現場で「やって見せる」ことが技術研修の直接的効果とともに,間接的だが重要な効果およびモデルとして日本鉄鋼業の認識を生み出すことになった。
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