本研究の目的は、南アジア・ムスリム社会における「預言者信仰」の詩学と政治学の具体相を明らかにすることにある。ここでいう「預言者信仰」とは、1)預言者の家族の子孫(サイヤド)、2)預言者とその家族の遺品(タバッルカート=「聖遺物」)、3)預言者の言行(スンナ)・言行録(ハディース)をめぐって展開される実践的イスラームを指す。研究の対象はインド・パキスタンバングラデシュで観察される「預言者信仰」が、「コミュナリズム(宗教的共同体主義)」、「イスラーム潮流」、「近代化」、国民統合と政党政治、国家および地方レベルの政治の関係などとの絡みのなかでどのような表現様式をとり、またどのような文脈で政治的に利用されうるのかにある。この研究の1年目となる平成15年度は、これまでの研究(南アジア・ムスリム社会の聖者信仰、社会構造、英領インド期の宗教調査、イスラームの「聖遺物」信仰、大衆的なイスラーム運動など)の成果を統合し、「預言者信仰」研究という領域の確立にむけて理論的枠組みを構築するための作業が主軸となった。具体的には、主として「聖遺物」に関して、これまでに収集した資史料を整理・分析し、論文「パンジャービー民族の自文化表象とイスラーム:聖遺物の展示をめぐって」を発表した。この論文では、ラホールのバードシャーヒー・マスジド(「皇帝のモスク」の意)の聖遺物コレクションの展示形態と由来伝承を手がかりに、パンジャーブにおけるイスラームの歴史と文化が、植民地政府や独立後のパンジャーブ州政府の関与を経ながら、いかにして南アジアを代表する「イスラーム文化」へと格上げされるに至ったかが明らかにされた。他方、新しい資史料は北インド(デリーおよびウッタル・プラデーシュ州)における現地調査・文献調査と国内(他大学・研究機関)における文献調査の実施などを通して収集された。
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