本研究の目的は、南アジア・ムスリム社会における「預言者信仰」の詩学と政治学の具体相を明らかにすることにある。ここでいう「預言者信仰」とは、1)預言者の家族の子孫(サイヤド)、2)預言者とその家族の遺品(タバッルカート=「聖遣物」)、3)預言者の言行(スンナ)・言行録(ハディース)をめぐって展開される実践的イスラームを指す。この研究の2年目となる平成16年度は、これまでの研究(南アジア・ムスリム社会の聖者信仰、社会構造、英領インド期の宗教調査、イスラームの「聖遺物」信仰、大衆的なイスラーム運動など)の成果を統合し、「預言者信仰」研究という領域の確立にむけて理論的枠組みを構築するとともに、具体的な事例に基づいて論文を執筆するといった作業が主軸となった。具体的には、主として「預言者の家族の子孫(サイヤド)」に関して、これまでに収集した資史料を整理・分析し、論文「北インド・ムスリム社会のサイヤド:カーストとイスラームのはざまで」を発表した。この論文では、預言者との血統上の繋がりを主張する特殊なムスリム・カテゴリー、サイヤドが、北インド・ムスリム社会でどのような位置づけをなされ、いかなる役割を期待され、果たしているかを考察した。その際、同社会に見られるカースト的な慣行を、サイヤドに体現されたイスラームの「普遍的なイデオロギー的な力」との関連で読み解き、彼らの儀礼的地位の高さや位置・役割の特殊性が、非イスラーム的ないしは土着的(=ヒンドゥー的)な価値というよりもむしろ、預言者尊崇に関わるイスラームの普遍性と結びつくものであることを指摘した。他方、新しい資史料は国内における文献調査の実施などを通して収集された。
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