本年度は昨年度に引続き、入宋した日本人禅僧の思想とその創建した寺院、来日した中国人禅僧の創建した寺院を中心に研究を進めた。 まず、思想に関する研究では、諸僧の偈頌・法語・語録などを中心に風水関係用語を検出しようと試みたが、特にそれを匂わせる文言の検出はできなかった。 また、寺院の調査としては、日本国内においては栄西による京都の建仁寺、円爾弁円による京都の東福寺、一山一寧による京都の南禅寺、夢窓礎石による京都の天龍寺などで調査を行ない、建仁寺・南禅寺・天龍寺・東福寺において諸堂宇の軸線のずれを確認した。国外においては、中国河南省・湖北省・安徽省・江西省・広東省において調査を行ない、河南省の寺院にあっては諸堂宇の軸線がほぼ一致するのに対して、湖北・安徽・江西・広東各省の寺院にあってはそれが一致しないことを確認した。この中国における軸線の相違は江西派風水が〓水・長江流域に拡がったのに対して、黄河流域より北方では古いタイプの風水が展開していることを匂わせるものであり、日宋交流が長江河口域と日本との間で行なわれていたことからすると、江西派風水の影響を受けた寺地の選地・伽藍配置の可能性を裏付けるかなり重要な要素となった。 また建長寺の発掘調査報告書の検討を通して、今まで創建当初の姿をほぼ正確に示しているとされてきた「建長寺伽藍指図」の描き方にかなりのデフォルメがされており、創建当初の建長寺にあってもかなり軸線がずれていたことが判明した。南禅寺・天龍寺のような初期・前期の禅宗寺院にあっても西(南禅寺)や東(天龍寺)に向いたり、軸線のずれがあることなどから、自明のようにされている「禅宗寺院は南北軸に沿って中心伽藍が一直線になっている」ということが、江西派風水の影響を考慮しない(あるいは排除しようとする)意識レヴェルにおいて言われ始めた可能性を検討する必要を認識した。
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