本年度は、三つの方向から研究を進め、以下に記すとおりそれぞれに一定の成果を得るに至った。 (1)近年の形象(イメージ)研究では、カルチュラル・スタディーズの一環として、形象が文化のなかで、どのように戦略的に意味を付与されるのかを解明することに力点か置かれている。同時に、サイバー・スペースにおける形象のリアリティをめぐる論考も、活発に提出されている。しかしながら、こうした考察のなかでは、形象という媒体がそもそもどのように意味を生みだすのかは問われておらず、自足した意味の表現媒体としての形象の潜勢力は等閑視されたままになっている。今日の形象研究の文献を広く収集し解釈することによって、それらの研究に対して、形象の自足的なメタファー性に着目する本研究が持つアクチュアリティが逆照射されることとなった。 (2)モダン・アートの展開のなかで、形象は、自己自身以外のものを参照することを激しく拒んだ。それだけでなく、形象は、自己自身として「在る」ことさえをも強く否定し、「不在」として逆説的に、しかも矛盾を孕んだ仕方で自己をあらわしだす。この特異な自己表現の論理を、コンセプチュアルアートの解釈に基づいて検証し、その所見を書評のかたちで発表した。さらに、現代のインスタレーションの実践に積極的に立ち会い、そこで、「不在」としての形象の有意味な表現性を具体的に検証した。こうした検証をとおして、「不在」をライトモティーフとする本研究は、視覚経験のみを特権化するのではなく、聴覚・触覚をも含む身体感覚とでもいうべきものに着目する必要があるという見解に至った。研究遂行のための資料・機器として、視覚資料・機器に加えて聴覚資料・機器の充実をはかった。 (3)形象の「不在」は、現代芸術の一つの動向を示す一方で、歴史的には、ユダヤの偶像禁止の伝統のなかで、ユダヤ文化の核を形成してきた。海外出張をとおして、偶像禁止の伝統の痕跡をヨーロッパの各都市のなかに探るとともに、この伝統と、ヨーロッパの現代のインスタレーションの動向とが、深い結びつきをもっていることを検証した。この結びつきがもつ意義とそこでの問題を理論的に探究することが、本研究の今後の重要な課題となることが明らかになった。
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